いいとこついてる・・・「女子ジャズ・ブーム」の仕掛け本

80年代の後半、アイドル歌手として活躍していた島田奈美のことを覚えている人はいるだろうか?

嬉し恥ずかし・・・http://www.youtube.com/watch?v=GI9qvsJDKZc ・・ってな曲を歌っていた彼女だが、90年に突如アイドル歌手を卒業してしまう。そして、島田奈央子の名で、「CDジャーナル」や「スウィングジャーナル」などにCD評を書くフリーライターとなるのだ。その彼女もいまや39歳、(お写真見るととてもこの歳には見えないね)、れっきとした音楽ライター、カフェやFMラジオで活躍するDJさんである。

http://www.youtube.com/watch?v=58JlvYfX61Y

彼女の "Something Jazzy 〜女子のための新しいジャズ・ガイド" を初めて手にとったとき、この本は間違いなく売れるだろうなと思った。ジャズという音楽に対する漠然とした憧れを持ち、できればその魅力にどっぷりハマってみたい・・・そう考えている女性は意外に多い。「ジャズがわかる」はいつの時代にも、そして男にとっても女にとっても「オトナである」とニヤリー・イコールの関係で結ばれてきた。この本は間違いなく、そういった層に強烈な訴求力を持つだろう。また、「じゃ、何から聴けばいいのか」と迷い始める次のステップに対して、お洒落で、さほどハードルの高くない選択肢を紹介してくれているようにも思った。

ジャズの入門書は星の数ほど出版されてきた。そしてどの本にも「従来のジャズ入門書と違うアプローチ」という謳い文句が、書籍の帯に踊っているものだ。だが、これを鵜呑みにして本を買った入門者が、そのガイダンスの階段を順当に登っていって、リッパなジャズ愛好家になったなんて話はついぞ聞いたことがない。それどころか、彼らにとってジャズは、「やはり難しい音楽」「楽しめない音楽」で終わってしまうケースがほとんどなのだ。

なぜそんなことになるのか・・・評論家さんたちも、きっとおおよその見当はついているのだろとは思う。しかしどうしても、彼らには捨てられない何かがあって、それが真の意味での入門書執筆を妨げているのだ。僕にはその正体、言い換えるとジャズ評論化さん達の「屈折した心理」とか「拘り」というようなものが何となくわかっている気がしているのだが、これに関する考察はまた項を改めてじっくり書いてみたい。

いずれにせよ、彼女には、ジャズ入門の敷居を結局のところ高くしてしまうそのあたりのヤヤコシイ部分がほとんどないのだ。

どれどれ・・・彼女のお勧めCD、一発目は何かな? そうか Michel Petrucciani の "Trio In Tokyo" から持ってくるか ・・・なかなか切れ味のよい直球勝負できたな。二投目は Esperanza Spalding の "Esperanza"ねぇ。流行は流行として、照れることなくサラッと紹介してしまうところがいい。
 
ジャズレーベルの紹介も、BLUENOTE、RIVERSIDE から始めるのは順当として(礼儀でもあるよね・・・)、次のステップでECM を紹介したと思うと、GRP、そして締めは SCHEMA とつないでしまう。クラブ系、ヨーロピアン・ボッサ、ごく最新のJJAZZなどが、Miles Davis や John Coltrane と同列で並んでいるあたりを読んでいくと、評論家先生方の苦虫を噛み潰したような顔が浮かんできて、逆に小気味良い。

もちろん、著者もいろんな盤をよく聴き込んでおられるみたいだし、汲み尽くせぬジャズの魅力の代弁者たろうと努力している様子がよくわかるから、こういったアプローチの入門書に戸をたてる評論家がもしいたとしたら、「じゃ、オンナ・コドモはジャズを聴いちゃいけないのか?」といったヒステリックな感情論も含めた批判を浴びて、自らの首を絞めることになるだろう。

そういう意味で言えば、この本のタイトルはなかなかにシタタカだ。「だから、Jazz入門書としないで、Something Jazzy(何かジャズっぽいもの)としてあるのよ」・・・ここまで言われた日には、誰もなんとも言えません。

http://news.walkerplus.com/2010/0227/10/ によれば、今年は"女子JAZZ元年"なんだそうだ。Tower Records のプロモーションから生まれたキャッチ・フレーズのようだが、あきらかに一つのジャズ聴きのムーブメントが起きつつあるのは事実だし、彼女の本がその牽引役を果たしていることもまた事実のようである。


(記:しろくま)



  • 2010.02.27 Saturday
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「so what」はなぜどんどん加速していったか?

はい。記念すべき第一回は、ご存知マイルス・デイビス先生の「so what」です。

この「Kind Of Blue」の作品において「モダンジャズ」の歴史がまったく新しいアプローチ(モード)を持って組み変わりました。

で、この「so what」、

1959年の「Kind Of Blue」リリース時から1965年の「Live At The Plugged Nickel」までの6年間においてテンポがドンドン速くなっているのが解ります。果たしてどうしてここまで加速していったのでしょうか?

 この「so what」という曲は単純に言えば、Dm7(8小節)とE♭m7(8小節)の繰り返しです。しかも「モード」とういう、調性にしばられない形式でアドリブしなければいけないわけですが、多分、トニー・ウイリアムスか誰かが、

俺は別にモードとかっていっても打楽器だから関係ないし〜どうせならもっとテンポを上げようぜ!」

とかなんとか言って、マイルスもただ単にアドリブするにも飽きてきたのか、


とかなんとか言っちゃってトニーに同意して、ドンドン加速いったのかもしれません。

1964年からこのような現象が始まり、「Four & More」ではもうすでに手をつけられないくらいの速さになり、東京公演では少し手抜きの演奏っぽいですが勢いづき、イン・ベルリンではさらに加速度を増します。

そして、
 
  

1965年の「Live At The Plugged Nickel」においての公演はもう「テーマ」は「テーマ」でしっかりと演奏しているのですが、マイルス自身、テンポについていけず、他のメンバーの演奏はフリージャズそのものと言った感じで、なんか笑ってしまいます。

実際に「Miles in Tokyo」の公演においてフリージャズ出身のサックスのサム・リバースをマイルスに推薦したのもトニーです。マイルスはひとまわりもふたまわりも若い世代と一緒にプレイしているので、結構この速さにやっとの事でついていってる感じがして途中、息がついていけなくて長いフレージングはほとんどなく、「ペ〜ッとかププう〜」と短いフレーズがかなり目立ちます。

さすがに、「so what」の演奏に嫌気がさしたのか、

「しんどいからも〜や〜めたっ

と、「「Plugged Nickel」以降ほとんどといっていいほど演奏されていません。

スピードの追求に飽きたのでしょうか?

封印ですね〜。(だから、なんだっ=so what )

近年、マーカスミラーやロニージョーダンやキャンディ・ダルファー等の世代が「so what」のカバーを演奏してますが、マイルスがやっていた「so what」のモードジャズとは解釈が違い、単に普通のコード進行としての解釈で演奏されています。

ちなみに画像の左は日本盤BOX、右はアメリカ盤です。が…完全盤となるとアメリカ盤です。日本盤は解説付きですがマニア好みの事をあまり書いていません。

この「モードの解釈」については、いずれまた…

(筆:大友)

  • 2010.02.10 Wednesday
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